古地図をたどる
山岳信仰のご神体でもある由布岳。台という草原が山の中腹にあって、いまではあまり人の姿は見られないが、過去にはその拠点となる佛山寺が建てられていた。古地図の真ん中にも台と記されているのを見ると、当時は山の中心となるエリアだったのかもしれない。
草原から森のなかに入り、しばらく歩き続けるとたどり着くことのできる観音岩という場所では、わずかに残る信仰の名残を感じることができる。そこだけ木々が刈り取られ、陽が差し込み、中央には巨大な岩。岩の裂け目には道祖神のような石像が安置されていて、素朴な佇まいだけれど、その存在感にはしばらく見入ってしまうものがある。
加えて、この場所にはキリシタンの信仰も栄えていた。町はずれの墓地にも足を運んでみると、独特の印の刻まれた墓石が並んでいた。いちばん信仰が盛んだった時期にはキリシタン集落も生まれ、山の頂上には信徒によって十字架が掲げられたこともあったんだとか。修験道の山としてはなかなかのエピソードだ。けれど、ふもとの村人も見物に訪れていたという記録を見る限りでは、案外優しく迎えられていたのかもしれない。 そんなキリシタン信仰も、禁教以降は跡形もなく消え去り、墓石群を除くと、遺構もまったく出てこないと言われている。
色んな信仰が肩を並べて静かに時を刻む墓地の風景を眺めていると、物悲しいような、微笑ましいような。なんとも言い難い気持ちになるのだった。
(『古地図をたどる』「どんな日の生者たち」より)