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未熟のころ



大学を卒業し1年ほど、地元のショッピングモールでアルバイトをしていた。色んな仕事があるなかでなぜだか苦手な接客の仕事を選んでしまい、パートのおばちゃんに叱られながらせっせとお金を貯め、その後、ヨーロッパを4ヶ月ほど旅をした。

日本を出発するまであいだYoutubeやiPhoneのアプリなどで簡単に英語の勉強を始めてみたものの、多分たいていの人がそうなるように僕もすぐに飽きてしまい、あまり上達しないまま飛行機に飛び乗ることになる。

以前マレー半島を旅した時には、旅をしながら英語がどんどん上達していく実感があったので、今回もそんな感じでなんとかなるだろうと踏んでいた。けれど、アジアの人たちに通じていたジェスチャーや会話の間合いのようなものは、ヨーロッパの人たちにはまったくと言っていいほど通じなかった。そうして思った以上に意思疎通が取れないということに凹んでしまい、最初の数週間はせっかくヨーロッパまで来たのにほとんど誰とも話さず、ゲストハウスのベッドの上で一日中インターネットを見ているような鬱屈とした日々を過ごしていた。

そんな旅に変化が訪れたのは、ロンドン、アントワープ、アムステルダム、ベルリン、コペンハーゲンと北上を続け、今度は暖かい国に行きたいと思って、ヨーロッパの南のほうを目指し、移動を始めた時だったと思う。

スイスのバーゼルという町に辿り着き、ユースホステルに宿泊。部屋でたまたま一緒だったのが、田舎町から土木関係の仕事でやって来たヤーコプと、どこか放蕩者っぽい賢そうなチェコ人のリチャード。一人で過ごしている自分を気に掛けてくれたのか、リチャードに声を掛けられ、一緒にハンバーガーを食べに行った。夜の川べりで3人でビールも飲んだ。アゲハっていう日本のクラブイベントを知ってるか?と聞かれ、知らない、と答えると、もったいない!という表情の2人。バーゼルではマック・デマルコのサードアルバムを繰り返し聴いていた。

同じユースホステルで仲良くなったチーさん。
ヴェネチアの美術大学に留学していた中国人の彼女と気が合い、一緒に電車でミラノに向かう。 そこで彼女が紹介してくれたのが、同じくデザイン学校に通う中国人のカイさん。チーさん、カイさんと一緒に博物館に向かったものの、僕は英語が話せないし、彼女たちはイタリア語しか話せなかったので、ほとんど会話らしい会話ができなかった。話すことといえば、展示されているイタリアン・ミッドセンチュリーの椅子や古伊万里の焼物を「I like this」と言ってみたり、「Me too」と返したり、そんなやりとりばかりだった。

ただ、拙いながらも人と意思疎通が取れたということが、旅に大きな安心感を与えた。彼女たちが 「I Like This」と伝えてくれたことは、彼女たちのごく個人的な視点でミラノの町案内ではなかったのだけど、僕にとってはすごく嬉しくて、いまでもふいに思い出すことがある。

ヴェネチアで泊まった「Ca Della Pieta」という宿のオーナーのセバッグさんも親切にしてくれた一人。 地元の人が通るのだろう、見上げるとロープで洗濯物が干してあるような入り組んだ小さな道を抜け、立ち飲み酒場に連れて行ってくれた。そしてウェルカムドリンクだよ、とスプリッツを奢ってくれた。オレンジとぶどうの中間のような味でオリーブの実が中に入っている、甘いジュースのような飲み物だった。

「昔、俺の宿には日本人が長く滞在していたんだ」とセバッグさん。だからなのか、自分の言葉もセバッグさんにはスッと伝わっていた。 「もし次、ダイキがヴェネチアに来てくれたら、それはビッグデザイナーになれたという証だな!」と言われて、まだデザイナーでもないモラトリアムな時間を過ごしていた僕は、その言葉にドキッとした。

どちらかというと人と話すのが億劫なのに、一人でいる時は人と話したがっている。けれどいざ人と会うとなると、やっぱりうまく話せない。そんなややこしい自分にとって、「言葉は分からないけど話している」という状況はある意味気楽でもあったし、言葉にできない分、違うなにかで自分を伝えようと努力していた気がする。そして思い出すたびに、そんなことができていた自分がとても不思議に思えてくる。

その後、地中海沿岸、バルセロナ、マドリッド、リスボン、パリを巡ったのちに、ロンドンからソウルを経由し日本に帰国した。
ヨーロッパからなにかを得たという感覚も曖昧なまま、今までの気だるい生活のツケとしてデザイン会社で真面目に働き始めた。旅それ自体は僕に力を与えるようなものではなかったけれど、その代わりに方向を示してくれた。振り返ると、その方向に向かい動き始めたことで、ゆっくりと自分の輪郭がかたち作られたのだと思う。

そうしてヨーロッパで出会った人たちの背中を追いかけるような思いを抱きながら、旅を終えたその後の日々を過ごしていた。

(『未熟のころ』「Los Poemas Diarios #4」より)